愛香庵らふの想い
愛香庵らふのホームページをご覧くださり、ありがとうございます。
お香をする時、わたしが常に心にとめている事があります。「無」になり「香」をすることです。
日本の文化には、素晴らしい精神性が紡がれています。
日本の文化の力には、世界中を笑顔にする力が宿っていると信じています。
三悪の感情
貪(とん):我欲、欲望だけに執着する、むさぼり、もっと欲しがる、足りないという心
瞋(じん):嫉妬、、怒り、憎しみ、他者を害する、思い通りにならないことに執着し腹を立てる心
痴(ち):無知、真理を知らず、おろかさ、迷いや無知にとらわれる心、正しい道理を見失い、迷いに沈む心
人間だれもが持っている「三つの感情」です。私も人間ですから、ふとこんな悪しき感情が顔をのぞかせることだってあります。
私たちの心には、誰もがこの三つを持っていると仏教では説かれています。この三毒は、自分が気付かないうちに心を奪われ、日々の暮らしを重たくさせてしまう悪しき感情と説かれています。
そんな時こそ、私は1人になり、静かに「香」焚き、悪しき感情が溶けて行く様な不思議な感覚を実感しながら、ブレた自分の軸を「今、この瞬間」穏やかな状態に戻し保つように日々鍛練しています。
日本文化とのつながり
お香は古来先人より日本文化と共にあったことを時々お伝えしています。
例えば、平安時代に貴族の間でお香の香りを衣類に焚きしめていた事、禅寺では心を静めるためにお香が焚かれていたり、茶道や香道では「香りを聞く」という表現が生まれ、貴族の間の香り遊びが行われていた事、お清めや浄化に用いられたり、防虫、防腐など暮らしにもとてもなじみのあるお香でした。
四季折々の香りや、書道、和歌などにも「お香」があります。また、時計代わりにしたり、ご先祖様の供養などにも、仏事にはかかせないお香となりましたね。
お香の香りは、時代を超え、国境を超え、人々の心を癒やし、和を大切に、相手を思い、優しく穏やかな心にさせてくれるものだと思います。
また、お香をされる方は、ご長寿の方がとても多くいらっしゃるのも、お香の特徴かと感じています。
精神性へのつながり
文化的背景から「心のあり方」へ自然に移ります。昨今、多くの情報が飛び交い、何を誰をどんな情報を信じたらよいものか、迷う時があります。
お香は目に見えないものだからこそ、心を研ぎ澄ませて味わう「五感」感性を育みます。香りを聞くことで「いま」に集中し、貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)の悪しき感情を静めます。香煙のゆらぎは、「無常」や「一期一会」を重んじお相手を大切に感じることができるようになります。
私はお香教室で、お香の香りと人との心のつながりを大切にしながら、その方の「思い」を感じ取れるように、心を整える香文化を世界中に広めたいと思い、日々をこつこつ香りを積み重ねていく事だと思います。
香りでつむぐ
日本人には、人を思う素敵な日本文化があります。
悲しんでる人が少しでも心が安心していられる場所でありたい。お香教室に来れば、心配事、不安事が和らぎ、ひとときでも安堵する場所であってほしいと願い、これからも精進してまいります。
私は、話をうまくまとめて話したりする事が得意ではありません、損得勘定や嘘、裏表が大の苦手・・・というか、好きではありません、というか頑張ってやってもすぐに顔に出るし、バレます。
過去には、沢山の失敗をしました、なんとかその場を取りつくろうと「ウソ」をついてごまかした事もありました。ダメダメな自分にドンドン苦しくなり自分で自分を追い込み、自分の技量と心の器が全く無い事に気が付き、こんな自分が嫌になり、お香をやめようとまで思った事があります。
そんな時に、同業の香司の方々の在り方が私のささえでもありました。香道の大先輩の方々の何気ないふるまいの中に、一本筋が通った凛としたお姿、私もこうなりたいと、お香をやめずに今までこられたのは私のまわりにいてくださる人々のおかげ様でもあります。
人は1人では生きていかれません、周囲の方々がいて下さるから自分があること、感謝と敬意があふれる様になり、自分が変化したことに気が付きました。
この経験を私が世界中の人達に恩返し(大げさかな?)して差し上げたいとまで思えるようになりました。
愛香庵らふでは、いらしてくださった方がどのような事を望まれているのか、その方の願いが叶えられるお香の先生を、ご紹介させて頂く事もよくあります。その方にとって最良のお香環境を整えて差し上げる事も、お香調合師香司として必要な事だと思うからです。
私は誠心誠意、正直に香りで人々を元気にする事、人々が笑顔になる事、その方の望まれる事に少しでも支えになる事、これを世界中に広めたい!これにつきます。
これからも愛香庵らふをどうぞ宜しくおねがいいたします。